旧春田鉄次郎邸について

旧春田鉄次郎邸は1924年に竣工、設計は関西建築界の父と呼ばれた武田五一(1872-1938)。

大正モダンの格調高い洋館と和館のバランス、贅沢な素材を生かし意匠を凝らした建物はとても価値のあるものです。

春田鉄次郎(1868-1933)は陶磁器貿易商として活躍、多治見貿易会社、太洋商工株式会社を設立し、春田鉄次郎邸や13邸から成る春田文化集合住宅、隣接していた太洋商工事務所、布池の太洋商工ビル等を建てた人物です。

幼少時より実業を目指す意思を持ち、当時の多治見町で西浦一族の営む陶社での卸商や中仙道での運送業を経て、横浜貿易異人館への商いから輸出業者として歩むこととなりました。

輸出業の黎明期にバンクーバー(カナダ)、ニューヨークやサンフランシスコ、フィラデルフィア、シカゴを巡り、ボストンに進出、陶磁器貿易の先駆けとなり、その後戦争や恐慌など厳しい時代を乗り越え、太洋商工株式会社を設立(1919)、神戸や横浜に支店、スラバヤ、ハンブルク、ニューヨーク、シカゴ、アルゼンチン、オーストラリア等にも販路を広げていました。

その人物像については下記にも掲載されています。

>> 名古屋新百人物 /馬場守次 著 1926 国会図書館アーカイブより

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鉄次郎と武田五一はどこで出会ったのでしょうか?当時の諸技術や交通網のダイナミックな発展、産業技術を競うように各国で開かれた万国博覧会、そして主税町周辺の様子にも想いを馳せてみませんか?

陶磁器貿易が盛んだった時代、主税町や橦木町は陶磁器の絵付けや仕上げ工場、貿易商の館などで賑わい、千種から名古屋製陶の工場を経ての陸路は瀬戸、多治見へと繋がり、建中寺近辺には絵付け工場エリア、名駅付近には当時の日本製陶など、一帯は陶磁器産業や商業の集積地になっていました。

また陶磁器産業のみでなく、自動車や紡績、電機、瓦斯(ガス)、銀行、製パンなど、この地で多様な産業の礎を築いた人物の屋敷が街中に点在、道には馬車と車が往来し、鉄次郎も一時期隣の敷地に厩舎を持っていました。

同時期の建築として、名古屋市市政資料館(1922年)、武田五一 設計の岩井橋(1923年)・記念橋(1924年→後に架け替え。)・名和昆虫博物館[記念昆虫館は1907年](1919年)の他、帝国ホテル[中央玄関:明治村内](1923年)、等があります。

※芝川又右衛門邸[武田五一設計:明治村内]は1911年。

当時の様子は下記にも詳しく掲載されています。

> 東区ものがたり

> 第十四回多治見商人物語 多治見貿易会社の設立

> 2010年 近代東区ゆかりの物づくり偉人

参考文献

春田鉄次郎 小伝 / 森越太郎 著

春田鉄次郎邸 の「春田鉄次郎」とはこんな人 / ランデル(春田)洋子 記

名古屋陶業の百年 会館の壁は聞いた百五十人の回想 / 名古屋陶磁器会館

名古屋の町並と建築 / 名古屋市経済局観光貿易課

町並み保存・覚書 -名古屋「文化のみち」前史-【5】春田鉄次郎邸 共存の試み / 池田誠一

東区橦木町界隈 / 西尾典祐

創意に生きる -中京財界史- / 城山三郎

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