春田文化集合住宅について

旧春田鉄次郎邸の西には、かつて13邸から成る春田文化集合住宅がありました。設計は春田鉄次郎邸と同じく武田五一。

昭和3年に西側、昭和7年に東側が建てられ、同じ敷地の東南には太洋商工(旧多治見貿易 1912年頃竣工)事務所 がありました。

春田文化集合住宅の敷地には逆U字形に配置された住宅、広い中庭、ロータリーの車留めなど、当時としては斬新で画期的な試みが多く見られ、この区画を1つの文化圏として行くための工夫と意思が感じられます。

中庭では春、満開の桜の下での花見、夏は夕涼みや七夕、秋の紅葉、冬は雪遊びなど、四季折々の息吹を感じられる安全で心地良いコミュニティーの中心でした。住む人々や街にとってかけがえのない場所であったと考えられます。

各住宅には採光や間取りなど設計上の工夫のほか、凝った意匠も施され、1戸1戸が特徴を備えた住宅となっており、かつての住人には名古屋医科大学部長、名古屋高等裁判所判事、時計会社のドイツ人技師、米領事館副領事のほか、ソニーの盛田氏子息、平田紡の平田氏子息、九重味醂の石川氏子息なども名を連ねていました。

ご近所同士で互いに家庭教師をしたり、ロータリーに来た豆腐屋で買い物やお喋り、惣菜を遣り取りする等、平成に入っても昭和の暮らしの風情が残っていたそうです。

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同時期の建築として、

武田五一設計の旧藤山家住宅日本屋(1932年)、旧芝川又右衛門邸寿宝堂(1932年)、

名古屋市公会堂(1930年 武田五一の他、佐野利器、鈴木禎次が設計顧問)、太洋商工ビル(1931年)、

名古屋陶磁器会館(1932年)、日本陶磁器センタービル旧館(1934年)、揚輝荘 伴華楼(1929年)、

古川為三郎記念館 爲春亭(1934年)、旧昭和塾堂(1928年)、名古屋市庁舎(1933年)、旧加藤商会ビル(1931年)、旧伊藤耳鼻咽喉科医院(1932年)等があります。

※後日、外部サイトで春田文化集合住宅を掲載されている方の ご厚意により提供いただいた写真入りページも追加します。

参考文献

昭和のNostargia 在りし日の春田文化集合住宅 / 東区文化のみちガイドボランティアの会

名古屋陶業の百年 会館の壁は聞いた百五十人の回想 / 名古屋陶磁器会館

町並み保存・覚書 -名古屋「文化のみち」前史-【5】春田鉄次郎邸 共存の試み / 池田誠一

INAX REPORT No.169 生き続ける建築3 武田五一 /石田潤一郎

武田五一 コウモリマークを選んだ建築家 /谷藤史彦(ふくやま美術館)

創意に生きる -中京財界史- / 城山三郎

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